マツリズム

【祭りレポート】福島県広野町 鹿嶋神社浜下り祭「たんたんぺろぺろ」2019 第二部(前日準備〜前夜祭)

2019.05.11

第一部 リンク

マツリテーター見習いの今場です。
鹿嶋神社浜下り祭のレポート第二部ということで、ここからは当日の様子についてご報告いたします。

第二部では、4月6日(土)に行われた準備作業の様子と、終了後の前夜祭(決起会)について。

竹の切り出し

■4月6日(土)10:00

かつては日付固定だった鹿嶋神社のお祭りも、今では曜日固定となり、4月第一日曜日となりました。
2019年の開催日は、4月7日(日)。
しかし、準備は前日の4月6日(土)10時からということで、我々もそれにあわせて現地入りしました。

まだ眠い7:00に上野駅を出発する常磐線特急ひたちに乗車。
終点いわき駅に着いたのが、9:18。
ここでさらに常磐線各停に乗り換え、広野駅に到着したのは9:44でした。

写真 広野駅舎。1898年(明治31年)に開業した、趣ある有人改札の駅です。

駅に到着すると、昨年もマツリズムがお世話になった島田さんが、人懐っこい笑顔で迎えてくれました。
島田さんは、このお祭り運営に重要な役割を持つ氏子組織、「青年団」に所属しています。


写真 青年団に所属する島田さん(写真右。左はマツリズム今場)

聞けば、東日本大震災が発生したのは彼が高校を卒業した年だったそう。
発災の時間、彼自身はいわき市にいて無事ではありましたが、津波で当時の自宅が流されてしまったそうです。
現在のお住まいも、少し場所を変えたものの、同じ下浅見川地区にお住まいです。

彼に案内されて、まちへ出ます。


写真 広野の空。この週末、東京では花見のピークでしたが、広野ではまだ2〜3分咲き程度といったところでした。

東京ではあまり目にすることがない、見渡す限りの広い青空と、緑の多い景色が広がります。
復興工事の成果であろう、整備したばかりと思われるほやほやの道路もあいまって、思わず、
「きれいな町ですね」
と漏らしてしまいました。

それに対して島田さんは、
「きれいな町じゃないですよ。広野はチンケな町ですよ…」
と、タバコを吹かしながら自虐的なコメント。
少しバツの悪い思い。

お祭りの拠点となる集会所には、駅から3分も歩けばすぐに到着しました。


写真 下浅見川地区集会所。100㎡弱ほどの広さで、今回の拠点的な場所です。

10:00の時点ではまだ人数がまばらでしたが、青年団員を中心とした男衆が少しずつ集まってきます。
今年も仲間たちと一緒にお祭りを迎えられる喜びか、どこかはにかんだ笑顔で互いに再会の挨拶。
そしておもむろに煙草に火をつけ、灰皿を自分に近づけながら腰を下ろします。
煙の漂う室内で、準備の段取りを確認します。

ここで青年団について簡単に説明します。
氏神信仰の単位である氏子地域の中で、お祭りの準備や神輿などの力仕事部分を担う若手(40代くらいまで)有志の組織です。
他の地域では「青年部」や「睦(むつみ)」と呼ばれているグループに近いかもしれません。

こちら下浅見川地区の青年団員は、5、6人程度。
一方で、神輿の担ぎ手としては常時8名が必要です。
加えて実際は、大太鼓・小太鼓等の持ち手に人がとられたり、神輿自体も担ぎ手の疲労を軽減するために入れ替わりながらの巡行になります。
それゆえに、お祭りの挙行のためには最低人数として20人程度は欲しいというのが地元の肌感覚のようです。
当然ながら、青年団だけでは神輿を担ぐ人数が不足してしまいます。
したがって、担ぎ手となる人手の必要性がとても高いということがこちらの特徴です。

集会所に頭数が揃うと、いよいよ準備作業に向けて動き始めます。
どうやら、二つのグループに分かれて動くようです。
我々マツリズムは、この時点では何が何だかわからない状態。仕方なく、人数の多い集団の向かう方向に着いて行きます。

ここで改めて、広野駅東側の町の様子を落ち着いて眺めることとになります。
道々に、震災を思わせる痕跡と、復興整備の成果が目に飛び込んできます。


写真 新しい道と新しい家。遠くに見えるはずの海は、整備された防潮堤によって隠されています。

写真 防潮堤沿いの防災緑地。樹木の若さに、まだ8年しか経っていないことを痛感させられます。


写真 田畑のような土地。しばらく耕作されていないように見受けられます。

そんな中、ようやく作業現場に到着。
桜並木が美しい堤防沿いの竹林で、作業を開始します。
どうやら、これから始まるのは竹を切り出す作業であることが、ここで初めてわかります。


写真 作業現場近くの桜並木と浅見川

竹林からちょうどよい太さの竹を切り出す人、切り出された竹を運ぶ人、その竹のひこばえを祓う人、軽トラックに積む人・・・。
誰がリーダーというわけでもなく、小気味良く、自然と役割分担がなされていきます。


写真 作業の様子。竹を切り出し、ひこばえを祓います。

どうしてよいかわからず見ていると。

最年長と思しき方が、
「ホレ、こうやるんだ」
と、短い竹の枝で、ひこばえをうまく祓い落とすやり方を教えてくれます。

必要な竹の本数は、なんと約80本というとてつもない量。
切って、祓い落として、積む。とにかく単調な作業。

ノルマ達成まで、ストイックに黙々と作業を進めるのかな、と思いきや。


写真 作業中に運ばれてきた酒類。

酒。

「ホレ、飲め飲めー」
「アホが!笑 ホントにビールだけ買ってきやがった!」

青年団の一人が、当たり前のように酒類を買ってきます。
青空のもとで、作業途中の乾杯。平日では考えられない状況です。

我々、まだこの時点ではお客様の心境ですが、この乾杯ではじめて、地元の方々と同じ輪に入ることができます。
どこかチームに一歩近づけたような感覚があるから、乾杯とは不思議なものです。

「最近ビール飲めなくなってきたんだよなー」
「それわかるわかる」

お互いの加齢をネタに笑い合う、とてもうらやましい光景と空気感。

なお、どこの地域も共通ですが、お祭り中は、当たり前のように酒が振舞われます。
酔うことで神に近づく、といったマユツバな意味合い以上に、お酒を飲むことによるコミュニケーション効果や一体感、仲間意識を高めるといった絶大な効果があるからでしょうか。

処理の終わった大量の竹を、軽トラで数回往復して集会所まで運び終わったところで、昼休憩を迎えます。
この時点で、まだ11:15頃でしょうか。


写真 午前中の作業を終え、大量の竹を集会所に集めます。

沿道の飾り付け

■4月6日(土)13:00

昼食休憩を終えると、今度は駅前通りに移動します。

写真 午後の作業風景。

午後は、午前中に切り出してきた竹を、神輿が通る予定の道沿いにに飾り付けていく作業です。
特に、駅前の通りに集中的に設置していきます。


写真 荷台の上の作業。

電柱や住宅の竪樋などに、竹を縄でくくりつけていきます。
基本的に、竹1本につき縄3箇所で結んで固定。

写真 マツリズム代表も縄を結びます。

固定方法について、下の2箇所は単純な輪っかを作るだけですが、一番上の箇所は、通りの片側ずつで1本の縄を使います。
リーダーが軽トラの上に乗り、1箇所ずつスライドしながら連結していきます。


写真 軽トラの上での作業。

この作業が難しく、途中で縄がたわんでしまったり、逆にテンションをかけすぎて縄が切れてしまったり。

「今年の縄は弱かったなー」
「去年は2時間くらいで終わってたのになー」

などの嘆きも聞こえました。
実際、午後の準備作業は予想以上に難航し、13:00の作業着手から、終わった頃には17:00近くになっていたでしょうか。

ちなみに、縄縛りといえば消防団の得意分野。
お手伝いの中にも消防団の方が何人かおり、慣れた手つきで結んでいたのが印象的でした。

そして前夜祭へ

■4月6日(土)18:00
準備作業に苦戦しましたが、ともあれ無事に準備が終わりました。
準備の後は、前夜祭です。
日中の作業に対する慰労と、翌日のお祭り本番に対する決起を兼ねた盛大な宴が開催されるようです。

写真 お店の送迎バスに乗車します。

17:30に集会所を送迎バスで出発し、広野町内のホテル「双葉邸」へ。
ホテルの1階のお食事処にある宴会スペースで、品のある懐石料理をいただきます。

お食事処&ラウンジ | 福島県双葉郡広野のビジネスホテル双葉邸

ここから楽しいお酒の席となっていくのですが、それに先立って、青年団長からの心震える乾杯挨拶がありました。


写真 乾杯挨拶をする青年団長の志賀さん。

(乾杯挨拶全文・部分意訳)
上浅見川地区では、今年も神輿の復活ができなかったらしい。
上下あってのお祭りの開催を、今はできなくなってしまい、下浅見川地区だけの神輿になってしまっている。

下浅見川地区の我々は、なくしてはいけないものだということで、俺と哲也さんで飲みに行って話し合った。
「志賀どうする?」と問われた時に、「これは駅前と一緒にやらなければ成り立たない」と答えた。

これは崩してはいけない、ずっと歴代続いてきた伝統行事だから、守らないといけない。
経験者は他にもいますけど、そういうもの(強い使命感)がないと、祭りってできないじゃないですか。
これが波及していって、まとまったのかなと思います。

去年もやりましたけど、また今年も、安全に、安全第一でよろしくお願いします。

この時点では、浜下り祭をめぐる地元の文脈を把握できていない我々には、内容の半分も理解できていないかもしれません。
それでも、祭りとまちにかける真剣な思いとカッコよさは、十分すぎるほど感じることができました。

伝統の祭りを守ることへのこだわり。
それは、マツリズムが大切にする”誉(ほまれ)”の価値観にも近いように思います。

また、地域が課題として感じているテーマも少し掴むことができました。
神事は本来、上浅見川地区と下浅見川地区でそれぞれ神輿を出す、2箇所で初めて一つのものでした。
下浅見川では神輿が復活して2年目を迎えることができましたが、上浅見川ではなかなかうまくいかず、今年も神輿が実現できずにいます。
よそものが何かを言えることではなく、地域で難しい事情があるのだと察されますが、下浅見川側はこの状況をやはり残念に感じられているようです。

また、準備作業は参加できなかったものの、前夜祭からであればということで、途中合流する方々が少しずつ現れます。
町内にある東京電力社員寮にお住まいの方。
かつて社員寮にお住まいで、今は東京都内に転勤したものの、毎年お祭りの時期になると広野町に戻って来られる方。
広野町出身で、今は都内に通勤しているものの、お祭りのために帰省して来られる方。

その他、町役場の職員の方や、他の自治体から出向で来ている職員が数名、お祭りに関わられていることも印象的でした。
なぜ印象的だったかといえば、複数のお祭りにお邪魔したことがありますが、なかなか現場で自治体職員の方とお会いすることがないからです。
きわめつけは、この3月末で出向期間が終了して鳥取県内の自治体に戻ったものの、このお祭りのために1週間後にさっそく戻って来られたという気合い溢れる職員さんまでいらっしゃいました。

関係人口ということが叫ばれ始めて久しいですが、広野町で起こっているこの現象こそ、お祭りをハブにした関係人口ではないかと痛感しました。

前夜祭の宴は、夜遅くまで続きました。
二次会として、半数ほどの人数が地元のスナック「元気百倍」に流れ、お祭りに関するディスカッション。元気百倍?
復活の背景や、お祭りが守るべき伝統とは何か、などについて語らい合います。


写真 二次会でお邪魔した「元気百倍」。翌日のお祭りの打ち上げもここで行うことになります。

この時点で、我々マツリズムも、青年団やお祭りに集まって来られた皆様と少しずつ打ち解けてきた感触を持ち始めます。
関係人口のグラデーションが、かくのごとくあまりに多様なので、東京から参加している我々も、それほど”よそもの”として扱われすぎない心地よさがありました。

いよいよ翌日は、お祭り本番です。